2020.03.22 北日本新聞『あの時出会って今がある』で取り上げていだきました!『マジシャン コンプレッサーさん 恩師と上司』

【北日本新聞】 https://webun.jp/item/7647228

あの時出会って今がある

マジシャン コンプレッサーさん 恩師と上司

2020.03.22 00:00 北日本新聞(webun)更新

■何事もとことん楽しむ

 小学生の頃はとにかく元気で明るく、にぎやかな子でした。学習発表会の劇では主役になりたいタイプ。ランドセルを持つのが面倒で用水に流して運んだり、学校にゲームやエアガンを持っていったりと、やんちゃな子でもありました。

 4年から6年までの担任だったのが矢後俊博先生です。学校にエアガンを持っていったときは、すぐには叱らず、エアガンについてのうんちくをいっぱい語ってくれるんです。いつも楽しそうで、一緒にいるとわくわくしました。先生からは、どんなことでも、とことん楽しむことの大切さを学んだような気がします。

 日頃から「子どもを点数で測りたくない」と言っていて、テストを中止にしたこともありました。言ったことを本当にやってくれる人なんだと思いました。約束を守る、というのは今も大事にしていて、先生に影響を受けたことの一つです。

 絵や漫画を描くのが好きで、夢は漫画家になることでした。同じマジシャンで、私の専属アシスタントを務めてもらっている「ともやん」はこの頃からの幼なじみ。いつか2人で仕事がしたいね、と語り合っていました。

 高校卒業後、大和に入社し、高岡店の販売促進部で催事やイベントなどを担当しました。当時、催事課長だった大島利弘さんに「仕事を覚えるには、司会をするのが近道」とアドバイスされたことが、今につながる大きな契機になりました。

 司会をするときは、一方的に話すのではなく、お客さんとコミュニケーションを取り、一体感、ライブ感をつくり出すことを大切にしました。今もマジシャンとして、観客と一緒になってステージをつくっています。

 イベントの一つとしてマジシャンを呼んだことがありました。その人に控室でトランプを使ったマジックを見せてもらったんですが、それがもう面白くて。なんてすごい世界、と衝撃を受けましたね。その人に紹介してもらった本を買い、独学でマジックの勉強を始めました。

 ある時、高岡でお笑いイベントがあって、同僚と漫才のコンビを組んで出演しました。コンビ名は「コンプレッサー」。2人でコンビ名を考えていると、たまたまテレビでコンプレッサーに関するニュースが流れて、言葉に勢いがあってこれでいいんじゃないかと。将来の自分の芸名になるとは思いもよりませんでした。

 その後は別の人とコンビを組むなどしてお笑いを続けましたが、全然受けませんでした。司会者として会場を盛り上げるのは得意だったけれど、お笑いはまったくの別物。向いていなかったんだと思います。

 砺波市であったお笑いコンテストに一人で出場し、日用品を使ったマジックを披露したら、びっくりするくらいに受けて優勝しました。これを機にお笑いをやめ、マジックでステージに立つようになりました。口コミで広まり、テレビやラジオへの出演も増えていきました。

 一度きりの人生、好きなことで生きたいと思い、妻の了解を得て2009年にプロになりました。今は文化会館やホテル、学校など、県内外で一年に300回ほどステージに立っています。

 マジックで大切なのは「不思議」と「笑い」と「人間味」の三大要素。不思議だけならどのマジシャンでもできますが、そこに笑いがあって初めて、不思議が際立つのだと思います。

 マジックの魅力は子どもからお年寄りまで世代を超えて楽しめること。だからこそ、いろんな世代に受け入れてもらえる自分をつくっていかなければならない。マジックの研究だけでなく、日常生活の中で、どうやって自分自身を磨いていくか。それが「人間味」としてにじみ出てくると思っています。(聞き手 田辺泉季)

青空に向けてトランプを飛ばすコンプレッサーさん=高岡市内
卒業アルバム用の記念撮影で、笑顔で写真に納まるコンプレッサーさん(後列右から3人目)と、ともやんさん(右)、矢後先生(左)=高岡市中田小学校

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