バレーボールが教えてくれたことと、思い出づくりの大切さ

思い出は、時間の中の宝物。

娘がバレーボールを始めたのは小学生のころでした。
その頃、たぶん、ぼくは「まだまだ先は長いな」と思っていました。
けれど、気がつくと、高校最後の試合が終わっていて、娘は涙を流していました。
それを見ているぼくも、涙をこらえきれなくなっていました。

泣くって、不思議です。
たぶん、それは悲しいからじゃないんです。
一生懸命だったことが「終わる」ことに対して、心が反応しているんですね。
たぶん、体の中のどこかで「よくがんばったね」と言っている。
そんな涙だったんじゃないかと思います。


親としての時間は、やっぱり一瞬だった。

土日の試合には、なかなか全部は行けませんでした。
仕事だ、予定だ、いろいろ理由をつけて、「あとで行けばいいか」と思うこともありました。
でも、終わった今振り返ると、「もっと行けたのでは?」なんて考えてしまいます。

娘が小さい頃は、何かと忙しくて、
「こんなに手がかかるなんて、大変だな」と思っていました。
でも、今ではその手がかからないことが、ちょっと寂しい。
人間って、つくづく勝手なものです。
忙しいときは大変だと思うし、時間ができると、あの頃を恋しくなる。
「もう一度だけ」なんて、言っても戻ってこないんですけどね。


「お疲れ様会」という名の、宝物づくり

ホテルニューオータニ高岡で、お疲れ様会を開きました。
保護者会のみなさんと力を合わせて、思いを込めた会でした。
中でも、7分間の映像。
この短い時間に、どれだけの「思い出」を詰め込めるか。
それを考えながら作った映像が、みんなの心に届いたのを感じました。

急遽決まった3年生の入場シーンも、良かった。
その場で生まれる「予定外」の瞬間が、いちばん胸に残るものだったりします。
「予定どおり」なんて、人生では案外、どうでもいいのかもしれませんね。

子どもたちが語るスピーチも、ひとつひとつ胸に刺さりました。
「ありがとう」「がんばったよ」「これからもがんばります」――
その言葉の裏に、たくさんの汗と涙が見える。
それを支えた保護者の方々も、目を赤くしながら聞いていました。


思い出の数が、人生を豊かにする。

最近聞いた言葉に、「豊かな人生とは、思い出の数だ」というのがありました。
考えてみると、ぼくらの人生って、「今」だけでできているわけじゃない。
「思い出」という形で、過去が今に寄り添ってくれている。
それが、ぼくたちを豊かにしてくれるんです。

娘たちのバレーボール。
ぼくにとっても、親としての思い出の一部になりました。
きっと、あの映像やスピーチや涙は、これからも誰かの心の中に生き続ける。
そう思うと、「思い出」って、ただの時間の記録じゃないんだなって思います。
それは、時間の中に眠っている「宝物」みたいなものです。


思い出づくりのお手伝い

3年生の娘たちは、新しいステージに向かいます。
そこでまた、新しい汗と涙を流していくのでしょう。
1年生や2年生たちも、先輩たちの背中を見て、「次は自分たちだ」と決意を新たにしたはずです。
春高バレー、応援に行きたいなぁ。

でもね、ぼくは思うんです。
バレーボールでも、勉強でも、なんでもいい。
一生懸命にやったことって、絶対に人生のどこかで宝物になるんですよね。
娘たちを見ていると、それを強く教えられるんです。

そして、マジシャンとしてぼくができることも、そんな「宝物づくり」のお手伝いだと思っています。
人の心に、ふっと灯る驚きや感動。
それが、何年後かに「楽しかったなぁ」と笑顔で思い返せる瞬間になるのなら、これ以上の喜びはありません。

最後に。
この会を一緒に作り上げた保護者のみなさん、ホテルのスタッフさん、音響の担当者さん、そして先生方に感謝です。
娘たちと同じくらい、みなさんの「お疲れ様」や「やり切った!」が伝わってきました。

これからもぼくは、心に残る思い出づくりをお手伝いしていきます。
それが、ぼくの役割なんだと思うんです。

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