ラジオブログ:まさかのPTA役員に!時代の変化と私のささやかな夢

本記事はFMとやまで放送中の『コンプレッサーのしゃべっちゃお』をブログ化した内容です。わたし、マジシャン・コンプレッサーが、ラジオでお話しするのと同じように、あなたの心にそっとお邪魔するような気持ちで語りかけていきますよ〜!今週も最後まで、どうぞお付き合いくださいね!
今週の放送内容をざっくり総まとめ!
PTA広報委員になった私の戸惑いと、時代の変化に思うこと。
いや〜、今週はですね、わたし自身の身に起きた本当に予想外の出来事から、色々なことを考えさせられた回になりました。
くじ引きで中学校のPTA広報委員を拝命し、「よし、お役に立つぞ!」と腕まくりして臨んだものの、時代の合理化の波の中で、まさかの「開店休業」状態に…。
その肩すかしがきっかけで、今の学校の部活動や文化祭のあり方に、わたしたちの頃との大きな違いを感じ、正直、少し寂しさも覚えたんですよね。
でもね、わたしが本当に伝えたかったのは、そのノスタルジーの先にある想いなんです。
時代がどう変わっても、子供たちに「かけがえのない思い出」と「何かに夢中になる時間」を届けたいという願いは、きっと誰もが同じはず。
そして、そのためならプロのマジシャンであるわたしにも、何かできることがあるんじゃないか…そんな新しい希望を見つけられた、そんなお話になりました。
まさかのPTA役員に!自分事になるなんて…
わたし、この間、本当にびっくりする出来事があったんですよ。 このFMとやまのラジオ番組「コンプレッサーのしゃべっちゃお」で、いつもお世話になっているディレクターの虎平太さんがね、「コンプレッサーさん、やっとPTAの役員が終わりましたよ〜」なんていうお話をされていたんです。
「へぇ〜!お疲れ様でした!やっぱり大変でしたか?」なんて、わたし、興味津々で聞いちゃってね。 なんでも広報委員だったそうで、「そりゃあ大変でしたよねぇ」なんて、心からの労いの言葉をかけていたんです。
そう、ついこの間まで、わたしにとっては本当に“遠い世界”の話だったんですよね、PTAの役員なんて。
ところが、ですよ。 人生って不思議なものですよね。 その言葉が、まるで大きなブーメランみたいに、自分の元へ返ってくることになるなんて…。
そうなんです。 何を隠そう、わたしがですね…(ゴクリ)… 中学校に通う娘の、PTA広報委員を拝命することになりまして!(フフッ)
いやもう、ちょっと笑っちゃいますよね。 あれだけ「大変ですね〜」って言っていた本人が、まさか同じ役割を担うことになるなんて。
ことの経緯をお話ししますとね、役員を決める大事な日があったんですけど、わたしも、そしてうちの妻も、どうしても仕事の都合がつかなくて参加できなかったんです。 今まではね、こういう学校の集まりって、ほとんど妻が参加してくれていたんですよね。わたしは仕事柄、どうしても土日が多忙になることが多くて、なかなか参加できなくって。
で、参加できなかった保護者の分は、もう、お決まりのアレしかないじゃないですか。 そう、「くじ引き」です。
後日、いろんな方から声をかけられましたもん。 「コンプレッサーさんとこの、クジ当たっとったよ〜!」「広報委員、おめでとう!」って。
でも、これがまた不思議なもんで、いざ自分がその立場になるって決まると、なんだか妙な責任感というか、少しでもお役に立ちたいな、っていう気持ちが湧いてくるんですよね。
やる気満々で広報委員に。わたしなりの小さな覚悟
それで、家族会議が開かれたわけですよ、我が家で。 「パパ、広報委員になったらしいよ」って。
今まではね、さっきも言った通り、PTAの活動っていうのは全部妻が引き受けてくれていました。本当に頭が下がりますよね。 でも、今回、役員の名簿に名前を書く段になって、妻の名前か、わたしの名前か、どちらかを書かなきゃいけないっていう話になったんです。
その時、ふと、わたし、思ったんですよ。 「あの…今回、一生懸命関わってみようかな、やってみようかな?」って。
ちょうど虎平太さんの話を聞いたばかりで、PTA活動っていう未知の世界に、少しだけ興味が湧いていたんですよね。あとね、PTA活動を大切にしている友人たちの話もきいていましたし。 それに、うちの娘も、この子で一番下。中学校の3年間なんて、きっとあっという間じゃないですか。
わたし自身、「仕事が忙しいから」っていうのを、どこか言い訳にして、子供たちの学校での活動にちゃんと向き合えていなかったんじゃないかなって、少しだけ、そんな思いもあったんです。 マジシャンっていう仕事は、お客さんの前で非日常をお届けする仕事ですけど、父親としては、もっと娘の日常に寄り添っていきたい。 そう思ったんですよね。
「よし、今回はわたしがやってみよう!」
そう心に決めて、わたしの名前を書いて、提出させていただいたんです。 なんだか、新しい舞台に挑戦する前のような、そんな新鮮な気持ちでしたね。 やるからには、少しでも力になれるよう、わたしなりに本気でやってみようと、心に誓ったわけでございます。
初ミーティングでのドキドキと…優しい肩すかし!?
そして先日、記念すべき第1回目のPTAミーティングが開催されましてね。 わたし、ちょっとドキドキしながら、中学校の会議室に向かったんですよ。
普段、マジックショーでステージに立つ時は、大勢のお客さんの前でもあまり緊張しない方なんですけど、この日ばかりは勝手が違いましたね。 「保護者」としてのわたし、「コンプレッサー」ではなく本名のわたしとして、その場にいるわけですから。 周りはみんな、わたしと同じように子供の未来を願うお父さん、お母さんたち。 なんだか、こう、自然と背筋が伸びる思いでした。
会議室に入ると、皆さんすでに席に着いていて、真剣な面持ちで資料に目を通している。 「ああ、皆さん、本当に熱心なんだな。真剣な表情だな」なんて、わたしも気持ちを引き締めて席に着きました。
でもね、長年の職業柄っていうのは、こういう時にも顔を出すんですよねぇ…。 会長さんが挨拶を始めた瞬間、「うーん、このマイクのボリューム、もう少しだけ上げたほうが後ろの方にも聞こえやすいのになぁ」とか、「照明がちょっと暗めだから、皆さんの表情が硬く見えちゃうのかも」とか、ついつい、イベント屋さんのような目線で分析しちゃってる自分がいるんですよ(笑)。 いかんいかん、今は保護者の一人なんだから、と自分に言い聞かせて。
全体会が終わり、いよいよ各委員会に分かれての話し合いです。 わたしはもちろん、広報委員会が指定されたテーブルへ。 「さあ、ここからが本番だ!」 いよいよ初めてのPTA活動が本格的に始まるぞ、と意気込んで席に着いた、その時でした。
そこで、わたしは、マジックのタネがわかった時以上の、なんとも優しい肩すかしをいただくことになるんです。
委員長さんが、わたしたち委員に向かって、とても穏やかに、こうおっしゃったんですよね。 「えー、広報委員会ですが…、あまり、皆さんにやっていただくことはありませんので、ご安心ください」
……え? いま、なんて…?
わたしの耳に飛び込んできた、その信じられない一言。 思わず、目をパチクリさせちゃいましたよ。 わたしの「お役に立ちたい!」というやる気と覚悟は、一体どこへ向ければいいんでしょうか…。 一瞬、時が止まったような、そんな感覚でしたね。
わたしの広報スキル、出番なし?時代の優しさと寂しさ
「やること、ありません」って…。 いやいやいや、そんなはずはないだろうって、わたし、思ったんですよ。 だって、いろんな方から「広報委員は結構やることがあって大変ですよ〜」って、聞いていましたから。
でも、委員長さんの話を聞いて、その理由がすぐにわかりました。 広報誌自体は、年に2回発行する、と。 うん、それはそうですよね。 わたしが子供の頃に見ていたPTA新聞も、確かそんな感じでした。 運動会とか、合唱コンクールとか、いろんな学校行事の時に、PTAの皆さんが一生懸命カメラを構えて、子供たちの生き生きとした表情を写真に収めている…そんな光景を、わたしも見た記憶があったんです。
ところが。 「去年からですね、広報誌の制作は、専門の業者さんにお願いすることになりました」
なんですって!?
「ですので、皆さんにやっていただくのは、出来上がってきた原稿の内容を確認して、問題がなければOKを出していただくだけです。去年もこの形で特に問題がなかったので、今年もそのように進めたいと思います」
あー、なるほど…。 そういうことだったのか、と。
というのも、わたし、コンプレッサーはですね、ありがたいことに、長く広報というお仕事に関わってきた人間なんです。 何を隠そう、この番組のスポンサーでもいてくださる、富山大和さん。 わたし、あのデパートで17年間も働かせていただき、そのほとんどを広報部門で過ごしてきました。 プレスリリースを書いたり、イベントを企画したり、デザイン、印刷、メディアの方々とやり取りをしたり…。
だから、広報に関するノウハウや知識が、もしかしたら少しは皆さんのお役に立てるんじゃないかな、なんていう思いがあったんですよね。 だからこそ、「広報委員」という役割をいただいた時に、「これは、わたしが少しでもお役に立てるチャンスなんじゃないか!」って、人一倍、張り切っていた部分があったんです。 あの頃培ったスキルを、今こそ娘の学校のために…!なんてね。
それなのに、「確認してOKを出すだけ」。
周りの委員の皆さんは、もちろん「その方が助かります」「ぜひ、お願いします」という雰囲気です。 そりゃそうですよね、みんな仕事や家庭のことで忙しい毎日を送っているわけですから。 わたしだって、ここで「いや、業者さんだけに任せず、わたしたちのアイデアでもっと面白い広報誌を作りませんか!」なんて熱弁をふるったところで、ただ皆さんのご負担を増やすだけになっちゃうじゃないですか。 それは違うよな、って。
かといって、完全に受け身でやるのも、妙な罪悪感。 うーん、この気持ち、難しいところですよねぇ…。
でもまあ、冷静に考えれば、プロにお任せして、クオリティの高いものを、負担なく作ってもらえるなら、それが一番良い形なのかもしれないな、という気もして。 どなたかが質問してくれたんですよ。「写真とかも、わたしたちで撮らなくていいんですか?」って。 そしたら委員長さん、「皆さんで撮ると、枚数が膨大になりすぎて、写真を選ぶだけで大変な作業になってしまうんです」って。
あー、それもまた、リアルな現実なんだろうなぁ、と。 わたしも仕事で印刷物を作ったりしますけど、素材が多ければ多いほど、選ぶだけで日が暮れちゃう、なんてこともザラにありますから。
合理的で、効率的で、そして、みんなに優しい。 夜な夜な学校に集まって作業するっていうのは、確かに大変です。 でも、わたしがちょっとだけ期待していたのは、そういう作業を通じて生まれる、保護者同士の何気ないコミュニケーションだったり、ちょっとした雑談だったり、そういう温かい時間だったのかもしれないなぁ、なんて。
まあでも、大変な思いをするよりは、負担がない方が、それぞれの生活もあるわけですからね。 結局その日は、みんなで拍手をして、「じゃあ、その通り行きましょう!」ということで、和やかに終わったわけですけども…。 なんだか、時代がどんどん優しく、そしてスマートに変わってきているんだなぁって、改めて実感した出来事でしたね。
学校から消えたうどんの味?文化祭と部活動の今むかし
PTA活動の効率化っていう話から、ふと、わたし、思ったんですよ。 学校のあり方そのものが、わたしたちが子供だった頃とは、ずいぶん違ってきているんだなって。
その一つの象徴が、学校祭、文化祭かもしれません。 わたしの子供時代の思い出で、キラキラ輝いているものの一つに、あのバザーがあるんです。
体育館とか校庭の隅っこで、お母さんたちが作ってくれた、うどんを食べた記憶、皆さんの中にもありませんか? あの、ちょっと柔らかめの麺に、甘めの出汁が染みててね。 普段食べてるうどんとは、また違う、特別な味がしたんだよなぁ。 うどんだけじゃなくて、おにぎりとか、フランクフルトとか。バザーで、誰かのおうちから提供された、ちょっとした掘り出し物を探したりしてね。 ああいう、学校全体がお祭り騒ぎになるような、ごちゃ混ぜの熱気みたいなものが、大好きだったんですよ。
でも、今の学校では、ああいった催しはほとんどないんですよね。 衛生管理の問題とか、準備の大変さとか、理由は色々あるんでしょうけど。 実際に、他のお父さんお母さんと話していても、「うどんを作って売ったりするのは、正直すごく大変だったから、無くなって助かったよ」っていう声も、よく聞こえてくるわけで。
うーん、これも時代の流れ。 どんどん、スマートに変わりつつあるんですねぇ。
そして、その変化の波は、中学校の部活動にも、はっきりと表れているんです。 うちの娘は今、バレーボール部にお世話になっているわけですけども、ちょうど娘が中学校に入学した時から、ルールが大きく変わったんですよ。 入学説明会で先生が、「部活動に参加するかどうかは、皆さんの自由です」っておっしゃったんです。
わたし、それを聞いた時、本当にびっくりしました。 え、部活って、みんなで入るものじゃないの?って。 わたしたちの頃なんて、「部活動には必ず参加してください」っていう雰囲気でしたし、なんなら「内申点」という言葉もあったじゃないですか。高校受験の時に、部活を3年間続けると評価に繋がるから、みたいな。 だから、運動が苦手な子も、文化部に入ったりして、とにかく全員が何かしらの部活に所属するのが当たり前だったのに。 それすらも「自由ですよ」っていう時代になったのか、と。
まあ、自由とは言われながらも、ほとんどの子供たちは何かしらの部活に参加しているみたいなんですけどね。 でも、驚くのはそこだけじゃないんです。 うちにはお姉ちゃんもいるんですけど、彼女も同じ中学校のバレーボール部だったんです。 だけど、そのお姉ちゃんの時と、今の妹の代とでは、練習のあり方が全然違うんですよ。
例えば、日曜日の練習。 朝8時頃に「行ってきまーす」って家を出て行ったと思ったら、10時過ぎには「ただいまー」って帰ってくるんですもん。 え、2時間で練習終わり!?みたいな。
わたしの記憶だと、日曜の部活って言ったら、朝早くから行って、帰ってくるのはお昼ご飯の時間帯とか。 なんなら、お弁当を持って行って、一日中練習する、みたいなのが普通だったと思うんですけどね。 そういうのもないし。
なんなら、「今日はちょっと用事があるので休みます」みたいなのも、気軽にできるみたいで。 試合だって、「絶対に全員参加!」みたいな強制的な空気は、あまりないらしいんですよね。 なんだか、本当に時代が変わったんだなぁって、つくづく思いますよ。
もちろん、その代わりとして、より本格的にスポーツに打ち込みたい子たちは、学校の垣根を越えた「クラブチーム」に所属する、っていう新しい選択肢が生まれてきているんですよね。 うちの娘も、実はそのクラブチームの方にも一つ、お世話になっているわけですけども。
まあ、お父さん的には、そのクラブチームの練習場所が少し遠いので、送り迎えがちょっと大変ではあるんですけどね。 その分、わたしが夜に晩酌を始める時間も少し遅くなっちゃうわけで…(笑)。 まあまあ、そんなことは置いといて。
いや、だから本当に、学校生活が様変わりしていて、これを「退化」と捉えるか、「進化」と捉えるかっていうのは、すごく難しい問題だと思うんです。 でも、これが世の中全体の流れなんだとしたら、それに逆らってもしょうがない。 その中で、どうやっていくのがいいのか。 どんな風にしてあげることが、子供たちにとって一番幸せな道に繋がるのか。 そういうことは、親として、大人として、一緒に考えていかなきゃいけないんですよね。
進化か退化か?変わる常識と、変わらない大切な願い
見方を変えればね、こういう変化っていうのは、学校の先生たちの負担を減らすっていう側面も、もちろんあるわけですよね。 昔は部活の顧問になったら、土日も全部練習試合で、家族との時間もなかなか取れない、なんていうのが当たり前だったのかもしれない。 そう考えると、先生たちの働き方を見直すっていう意味では、すごく良い流れなのかもしれません。
それに、うちの娘を見ていて、純粋に「これは素敵だな」って思うこともあるんですよ。 それは、いろんな学校の同級生たちと、深く繋がっているっていうところなんですよね。 クラブチームに行けば、A中学校の子も、B中学校の子もいる。 バレーボールっていう共通の好きなことを通じて、学校の垣根なんて関係なく、大切な仲間になっている。
わたしなんか、生まれも育ちも高岡市の中田というところで、中田保育園、中田小学校、中田中学校と、ずーっと同じ顔ぶれで中学校を卒業するまで過ごしてきた、良くも悪くも、とても小さなコミュニティの中で生きてきた人間なんです。 だから、今の娘が、バレーボールを通じて、富山市の子や、射水市の子や、いろんな地域の子供たちと交流している姿を見ていると、「ああ、これは本当に、素晴らしいことだな」なんて、素直に思ったりするんですよね。
やっぱり、時代っていうのは、こうやってどんどん変わっていくものなんでしょうね。 良いこともあれば、もちろん、失われてしまって寂しいこともある。 でも、その大きな流れそのものを、わたし一人の力で変えることはできないわけじゃないですか。
だとしたら、その変化の波の中で、良いところを上手に見つけて、それをどう活かしていくか。 どうすれば、もっと楽しく、もっと豊かになるんだろうって考えていくのが、きっと素敵な向き合い方なんでしょうね。 うん、なんか、そういうことなのかなって思います。
いやぁ、それにしても、わたし、子供の頃、中学校の頃って、一体何やってたのかなぁって、今、改めて思い出してみると…。 わたしは、野球部でしたわ。 うん、確かにやってました。
あの頃はもう、部活をやるのが当たり前で、「やらない」っていう選択肢すらなかったですけどね。 放課後になったら、教室でユニフォームに着替えて、そのままグラウンドに直行するのが、毎日の決まり事みたいなところがありましたから。
まあ、そういう時代から、一つ一つのことを自分で選択できるっていう時代になったこと自体が、それぞれの個性とか、多様性とかに繋がっていくっていう面もあるんでしょうけど…。 だけど、そこに、それぞれの御家庭の事情みたいなものが複雑に絡んできたりもするわけで…。 ああ、なんか話がどんどん壮大になってきちゃった。 上手くまとめられなくなってきたので、一旦CMです(笑)。
マジシャンとして、父親として。わたしにできる、ささやかな夢
はい、エンディングの時間です。 CMの間もね、こうやって色々と思い出してたんですよ。 学校生活の出来事とか、勉強で学んだこととか、色々ありますけど、じゃあ、今、大人になってみて、何が一番自分の力になっているかなって考えたら、わたし、一言で言うと「思い出」のような気がするんですよね。
楽しかった思い出、悔しかった思い出、仲間と笑い合った思い出、先生に叱られた思い出…。 そういう、一つでも多くの「思い出」が心にあることが、大人になった今、自分を支えてくれる力になったり、困った時に助けてくれたりする場面が、本当にいっぱいあって。
その、かけがえのない「思い出」を作るための大切な時間として、やっぱり、学校の授業以外の時間っていうのは、ものすごく重要だったなあって、改めて思うんです。 その中には、さっき話した学校祭であったり、運動会であったり、そして、部活動であったり。 この、勉強だけじゃない時間っていうのが、一人の人間を形作る上で、すごく大事だったんだな、って。
だからこそ、その部活動が、なんだかこう、少し熱中しにくいような、ドライな環境になってきているんだとしたら、それは少し寂しいことだな、と。 なんとかして、子供たちには、心の底から「これ、大好きだ!」って思えるような、夢中になれる何かを見つけられるような環境を、用意してあげたいなあって、親として願ったりしますよね。
…あ、そうか。 今、ふと思ったんですけどね。 「父親として」考えると、こうやって色々悩んだりするわけですけど、「プロマジシャンとして」考えると、わたしにできることが、もしかしたらあるのかもしれませんよね。
例えば、地域の子供たちに、マジックを学ぶ場を提供してみる、とか。 あ、こういうのもアリかもしれないですね! 部活のような雰囲気の、「マジッククラブ」。
いいじゃないですか! 学校の垣根を越えた、クラブチームみたいなマジッククラブ。 富山県内の、マジックに興味がある子供たちが、週に1回とか集まって。 わたしが先生役、というのもおこがましいんですけど、一緒にマジックを楽しんで、トランプやコインの扱い方を教えられたら最高ですよね。
そして、ただ覚えるだけじゃなくて、どうやったらお客さんが驚いてくれるか、喜んでくれるかっていう「見せ方」まで、一緒に考えるんです。 で、週末なんかには、スポーツ部が試合に行くみたいに、みんなで地域のイベントとか、福祉施設とかに「マジックショー」をお届けしに行く、みたいな。
これって、めちゃくちゃ素敵な「思い出」になるんじゃないですか? 人前で何かを表現する度胸もつきますし、仲間と一つのショーを作り上げる協調性も学べる。 そして何より、自分たちのマジックで、誰かが笑顔になってくれるっていう、最高の成功体験を味わえるわけですから。
おお…なんだか、そんな発想で色々考えてみると、また新しい何かが生まれるのかもしれないな、なんて。 今日のPTAの優しい肩すかしから、まさかこんなささやかな夢にたどり着くとは思いませんでしたけど(笑)。 あ、いけない。今日もそろそろいいお時間になってまいりました。 わたしの妄想にお付き合いいただいちゃって、本当にすいませんでした。
ということでね、え、今週もこの辺で。 また来週、ラジオの前でお会いしましょう! お相手は、マジシャンのコンプレッサーでした!
FMとやま「コンプレッサーのしゃべっちゃお」とは?
タイトル:マジシャン コンプレッサーのしゃべっちゃお
番組ディレクター:虎平太
15分一本勝負のフリートーク番組「コンプレッサーのしゃべっちゃお」!
わたし、マジシャン・コンプレッサーの勝手気ままなトークで、マジックのような驚きと笑いに満ちた、日常・仕事・家族のエピソードをお届けしています!富山でのイベントやマジックショーの裏話も聞けちゃうかも?
放送時間:FMとやま 82.7 毎週日曜日 朝9時30分~
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