エッセイ:本名あっての芸名~私の芸名は「コンプレッサー」

20150711 071623 - 出張マジックショー

本名あっての芸名~私の芸名は「コンプレッサー」

「コンデンサー様」

「コンプレッシャー様」

活動を始めたばかりの頃、楽屋の貼り紙にそう書かれているのを見つけて、思わず吹き出してしまった。

なにせ「コンプレッサー」は、本来「圧縮機」の意味。

れっきとした機械の名前だ。

コンデンサーあたりと取り違えられても、無理はない。

それでも富山で長く続けるうちに、「コンプレッサーといえば、あのマジシャン」と言ってもらえるようになった。

素直に、うれしい。

そんな今でも、よく聞かれる。

「その芸名、どういう由来なんですか?」

話は、サラリーマン時代にさかのぼる。

同僚とコンビを組んで、一度だけ、お笑いのイベントに出ることになった。

芸名をどうしよう、と考えていた、その時。

テレビから流れてきたのが、コンプレッサーの爆発事故のニュースだった。

「…コンプレッサー、でいっか」

それくらいの、軽いノリ。

その場限りのつもりだった。

コンビの活動は、本格化しなかった。

それなのに、なぜかこの名前だけは使い続けて、いつのまにか一人で活動するようになっていた。

そんな中で、マジックと出会う。

アマチュアでコンテストの賞をいただいたり、テレビやラジオのレギュラーを持たせてもらったり。

気がつけば「コンプレッサー」が、自分でも驚くくらい、世の中に広まっていた。

こうなると、もう変えるのがもったいない(笑)。

脱サラしてプロになった日、「これからは二十四時間、コンプレッサーとして生きる」と誓った。

すると不思議なもので、本名で呼ばれることに、抵抗を感じるようになった。

いつしか「コンプさん」が当たり前になって、誰も本名で呼ばなくなった。

それでいい、と思っていた。

ところが、コロナ禍が、すべてを変えた。

マジシャンの仕事は、ぱたりと止まった。

代わりに増えていったのが、「高畑義光」としての時間だ。

映像をつくり、デザインの仕事を引き受け、経営者の学びの会には朝早くから通う。

どれも、本名で呼ばれる仕事だった。

正直、寂しかったなぁ。

必死で築いてきた「コンプレッサー」が、少しずつ薄れていくようで。

でも、ふと思った。

芸名を大きくすることばかりに夢中で、両親がくれた、たった一つの名前を、ずいぶん放っておいたなぁ、と。

やがて、コロナが明けた。

ステージに戻って、はっとする。

あの頃みがいた映像やデザインの感覚が、ショーの見せ方に生きている。

学びの会で結んだご縁が、また次の舞台へつながっていく。

辛かったはずの「高畑義光」の日々が、いつのまにか、マジシャン「コンプレッサー」の幅を広げていた。

ああ、そうか。

本名あっての、芸名。

あのニュースがくれた芸名と、両親が授けてくれた本名。

気づけば、その両方に、生かされていた。

「高畑さん」

そう呼ばれて、はい、と返す。

高畑義光。

両親がくれた、たった一つの名前。

悪くないなぁ。

※vol.70/コンプレッサー通信 2022年7月号 掲載記事より