エッセイ:本名あっての芸名~私の芸名は「コンプレッサー」

本名あっての芸名

活動を始めたばかりの頃、楽屋の貼り紙に「コンデンサー様」とか「コンプレッシャー様」なんて書かれていたのを見つけた時は、思わず吹き出してしまいました。なにせ「コンプレッサー」の本来の意味は「圧縮機」ですから、そんな風に間違われるのも無理はない。それでも、富山を拠点に長く活動を続けてきたおかげで、「コンプレッサーといえば、あのマジシャンだ」と認識してくれる人が増えたのは、素直に嬉しいことです。

それでも、今でもよく聞かれます。「その芸名、どういう由来なんですか?」ってね。

話はサラリーマン時代に遡ります。同僚とコンビを組んで、一度だけお笑いのイベントに出ようという話になった。芸名をどうしようか考えていた時、テレビから流れてきたのは、コンプレッサーの爆発事故のニュース。「…コンプレッサー、でいっか」。本当に、それくらいの軽いノリで決めました。その場限りのつもりだったから、深く考えていなかった、というのが正直なところ。

結局、そのコンビでの活動は、本格化することはありませんでしたが、僕はなぜか「コンプレッサー」の名前をそのまま使い続け、一人で活動するようになっていました。そんな中で、マジックと出会うことになります。アマチュアながらコンテストで賞をもらったり、テレビやラジオでレギュラー番組を持たせてもらったりするうちに、「コンプレッサー」という名前が、自分でも驚くほど世の中に浸透していくのを感じました。そうなるともう、変えるのがもったいなくて。

脱サラしてプロマジシャンになった時、「これからは二十四時間、コンプレッサーとして生きる」と心に誓いました。すると不思議なもので、本名で呼ばれることに、どこか抵抗を感じるようになったのです。「まだコンプレッサーとしての自分が浸透しきっていないんじゃないか」そんな焦りにも似た気持ちがあったのかもしれません。いつしか「コンプさん」と呼ばれるのが当たり前になり、僕自身もそれが心地よくなっていたのか、誰も本名で僕を呼ばなくなりました。それでいい、と思っていました。

ところが、コロナ禍がすべてを変えました。

マジシャンとしての仕事は激減。代わりに、映像制作やグラフィックデザインの仕事、そして経営者の学びの会での活動に力を注ぐ時間が増えました。すると、どうでしょう。再び、本名で呼ばれる機会が圧倒的に増えたのです。

正直、寂しかったですね。「これまで必死で築き上げてきた『コンプレッサー』が、どんどん消えていってしまうんじゃないか」って。でも、それは同時に、大切なことに気づくきっかけを与えてくれたようにも思います。芸名を大きくすることばかりに躍起になって、両親が授けてくれた、たった一つの本名を、僕自身が大切にしてこなかったんじゃないか、と。

コロナ禍が少しずつ明け、日常が戻りつつある今、不思議な感覚があります。本名での活動が、僕の中に新しい何かを育み、それがマジシャン「コンプレッサー」にも、思いがけない良い影響を与えている。そんな感覚です。そして、以前よりも「コンプレッサー」としての芸や活動の幅が、むしろ広がっている実感があるんですね、これが。

ああ、そうか。

本名あっての、芸名。そういうことなんですね。

このマジックという世界の既成概念にとらわれることなく、これからも僕は、僕自身の道を歩んでいこうと思います。本名も、芸名も、どちらも大切に抱きしめて。

進化し続けるコンプレッサーに、どうぞご期待ください!

※2025.4.27リライト

※vol.70/コンプレサー通信2022年7月号掲載記事より