「芸は人なり」富士研で気づいた「余白」と「人間味」のはなし——マジシャンが自分と向き合い続ける理由

「芸は人なり」富士研で気づいた「余白」と「人間味」のはなし——マジシャンが自分と向き合い続ける理由

マジシャンという職業は、自分と向き合い続けることで芸を磨いていく職業だと思っています。

芸は人なり、という言葉の通りですね。

どれだけ技術を磨いても、どれだけ演出を工夫しても、舞台に立つのは「人間」です。だから、その人間としての器が磨かれていないと、芸もどこかで頭打ちになる。そのことをずっと感じながら活動してきました。

今回は、そのことをあらためて深く考えさせられた数日間のはなしをしたいと思います。

そもそも、倫理法人会って?

ここで少し、私が所属している「倫理法人会」について紹介させてください。

「企業に倫理を、職場に心を、家庭に愛を」をスローガンに、全国で活動している経営者の団体です。

毎週一回、朝の6時から開催される「経営者モーニングセミナー」での学びの実践を通して、自己革新をはかり、より良い経営者になることを目指しています。

宗教などではなく、純粋に「人としてのあり方(純粋倫理)」を学ぶ場所。私もここで多くの経営者の先輩方から刺激をいただき、日々心を磨いています。

早起きはたくさんの徳 というエッセイでも書きましたが、朝から経営者の皆さんの本音に触れる時間は、私にとってかけがえのないものになっています。

富士高原研修所、二泊三日の経営者セミナーへ

富士高原研修所、二泊三日の経営者セミナー

1月30日・31日・2月1日の二泊三日。

富山県倫理法人会の仲間とともに、静岡県にある富士高原研修所——通称「富士研」に参加してきました。

倫理法人会の中でも特に知られた研修施設で、全国から経営者や士業の方々が集まる場所です。今回は富山県倫理法人会の幹事長という立場もあり、「幹事長が行かないわけにはいかない」という半ば勢いとノリのような形で参加が決まったのですが(笑)、今思えば自分にとって大きな転機となる三日間でした。

これも、「役を受けることで自分自身が変わる」という言葉を実感する出来事だなぁ。

二泊三日のプログラムは、どれも濃密で、自分という人間を深く掘り下げるものばかりでした。

ただ、具体的な内容については、ここではあえて触れないでおこうと思います。私自身、何の予備知識も持たずに飛び込んだからこそ得られたものが大きかった。これから参加される方にも、ぜひあの「生」の衝撃をそのまま味わってほしいからです。

気になる方は、ぜひご自身の足で運んでみてください。自分と向き合う、かけがえのない時間になることは間違いありません。

頭で理解したこと、そして身体で感じたこと。そのすべてが強烈で、自分の中に収まりきらないほどの気づきが溢れていました。

人間力を養うには理屈や我が儘はいらぬ、純粋な心と実践あるのみである

最終ワークで決めた目標、「余白時間を作り人間味を磨く」

余白時間を作り 人間味を磨く

すべてのプログラムを通じて、最終的なワークで決めた今後の目標は「余白時間を作り人間味を磨く」というものでした。

正直、この目標を書いた時点では、まだ自分の中で完全に整理できていませんでした。

なぜこの結論になったのか。何を感じてそうなったのか。頭の中がぐるぐるとしたまま、富山に帰ってきました。

帰ってからも、頭の中がずっとぐるぐると

富士研から帰って数日間、ずっと考えていました。

「余白を作って人間味を磨く」という言葉がおりてきたけれど、具体的にどういうことなのか。何がそうさせたのか。自分の中で言語化できないままの日々が続いていました。

そんな中、同じく富士研に参加した仲間との、富山県倫理法人会・委員長、幹事長定例ミーティングがありました。

そのミーティングが終わった後に、松倉委員長から「富士研から帰ってなんか実践してらっしゃることってありますか?」という質問がありました。

「話長くなるけど……」と言いながらも、気がついたらいろいろ喋っていました。こうやって思いをすなおに伝えることができる仲間がいるって、すごく幸せなことですよね☆これも、倫理法人会の価値だなぁと改めて感じます。

富士研 経営者セミナー

「タイパ・コスパの人間なんすよ、やっぱり」

喋りながら、自分の口から出てきた言葉が印象的でした。

「一言で言うと、タイパ・コスパの人間なんすよ、やっぱり」

分刻みでスケジュールを管理し、今日やるべきことを詰め込む。少しでも隙間ができれば、すぐに次の予定をねじ込む。そうやって時間を埋め尽くさないと、なんだか落ち着かない。脱サラしてマジシャンとして生きていくと決めてから、ずっとそんなスタイルが当たり前になっていました。

この世界は甘くない。自分一人ならまだしも、大切な仲間や家族を養っていかなければならない。その責任感と「止まったら終わりだ」という焦燥感が、ずっと頭の片隅にこびりついていたんです。

でもその一方で、「舞台に立つ一人の人間として、もっと人間味を磨きたい」という想いもずっと抱えていました。単に不思議なマジックを見せるだけではなく、その人自身に魅力を感じてもらえるような、深みのある表現者になりたい。そう願っていたはずでした。

なのに、タイパ・コスパで走り続けながら、効率のためにいろんなものをそぎ落としてきた。

効率を優先して削ぎ落としてきたもの。それは、マジシャンとして一番大切にしていたはずの「人間味」そのものだったのではないか——。

そのことに富士研で気づかされた、ということが喋りながら整理されていきました。

富士研 経営者セミナー

座禅の時間に、「木」に気づいた

富士研の中で特に印象に残っているのが、座禅の時間です。

突き抜けるような青空が広がり、白い雲がどんどん流れていく。目の前には豊かな木々と、雄大な富士山。最高に天気の良い日でしたが、冬の屋外は刺すように冷たくて、めちゃくちゃに寒い。そんな中での座禅。

ふと、視界の端に一本の木が映りました。

厳しい寒さの中、雪が舞おうと、風が吹き抜けようと、その木はただ、そこに立っているんだよな。どんな日々も微動だにせず、ただ静かに、そこにある。

その姿を見つめていたとき、不意に言葉が降りてきました。

「ああ、俺もこの木と同じなんだ」

そう思った瞬間、鳥肌が立ちました。

座禅を組んだ足が、冷たい大地へと深く根を下ろしていく。丸まっていた背骨が、真っ直ぐに伸びる一本の幹になる。自分という存在が、目の前の木と溶け合っていくような、不思議な一体感。

これまで、どれだけのタスクを詰め込み、どれほど焦って走り続けてきただろう。タイパだ、コスパだと効率を追い求め、成果を上げることを考え続け、何者かになろうと必死に「何か」を付け足し続けてきた。

けれど、目の前の木はどうだ。

何もしない。どこへも行かない。ただ、そこに「在る」だけ。
それなのに、これほどまでに力強く、揺るぎない。

「ただ在る」ことの圧倒的な肯定感。
その静かな衝撃が、今も私の深いところで、じんわりと熱を持って残り続けています。

余白を作る、ということの意味

最終ワークで決めたこれからの目標「余白を作って人間味を磨く」。

では「余白を作る」とは何なのか。

ずっと考えていました。

ただボーっとすることが余白じゃない気がして。映画を見るとかも、もちろんそれはいいんだけど、それで人間味が本当に磨かれるのか、という疑問がある。

考えた末に出てきたのが、「余白の時間を、誰か人のために使う」ということでした。

日常の中でちょっと空いた時間があると、ついつい作業や仕事を入れてしまう。でも、そこをあえて「人のための時間」にしてみる。

その余白が、人間味を磨くことに繋がっていくんじゃないか——そのイメージで今、少しずつ実践しています。

自分のために使えたはずの時間を、あえて誰かのために差し出す。そんな小さな「余白」の積み重ねが、自分の中の人間味を少しずつ耕してくれるような気がしています。

富士研 経営者セミナー

自分が知っている自分と、人が見ている自分

オンラインミーティングの中で、松倉委員長から気づきをいただいた言葉がありました。

「コンプさん、俯瞰して見てる感じがすごくある。表情もポーカーフェイスに見えます」

正直、自分ではあまり意識していませんでした。驚いたし、でもどこかで「そうか、そう見えているんだな」と腑に落ちる部分もありました。

舞台に立つプロマジシャンとして、動揺を顔に出さないこと、感情をコントロールすることを長年積み重ねてきた。それが気づかないうちに、ふだんの立ち居振る舞いにも染み込んでいたのかもしれません。

「自分ではさらけ出しているつもりだったんですけど、無意識に『隙』を消してしまっていたのかもしれません」

気がついたら、そう口から出ていました。

芸人はさらけ出す生き物だと思っているし、表裏はないつもりでいる。でも「整っていない自分」「考えがまとまっていない自分」を出すことには、表現者として、無意識にブレーキをかけてきたのかもしれないなぁ。

「油断くん」になれない自分

イモムシのワッペン「油断くん」

以前、テレビのロケで面白い実験をしたことがあります。

普通にマイクを向けてインタビューするのと、イモムシの可愛いキャラクター「油断くん」のワッペンを胸につけて話しかけるのとで、どちらがより相手の心を開けるか——という実験でした。

「油断くん」を胸につけて話しかけると、みんなよく心を開いてくれるんですよ。相手が思わず油断するから。

だから自分自身も、もっと「油断くん」みたいな存在にならなければと、あの頃からずっと思っていました。

でも松倉委員長との会話の中で気づいたのは、相手を油断させるテクニックを磨くことと、自分自身が心の鎧を脱いで「隙」をさらけ出すことは、全くの別物だということです。

番組の収録前はできれば話さずにいたいと思ってしまう。ベストな状態で臨みたいから。それはプロとしての姿勢でもあるけれど、同時にずっと「整えておこうとしている自分」でもある。

「誰かを油断させようとする一方で、自分自身が一番、自分に油断することを許していなかった。その皮肉な事実に、ハッとさせられた瞬間でした。」

会話ログをAIで分析してみたら

オンラインミーティングだったので、終わった後にその部分を文字起こしして、自分の思考をAIで分析してみることにしました。

出てきた言葉が、ひとつひとつ刺さりました。


まず最初に出てきたのが、自分の現在地を一言で表したこんな分析。

コンプさんの現在地は「効率の鬼が直面した限界」です。スケジュールの管理能力、タスクの優先順位付け、感情のコントロール——これらすべてにおいて、あなたは高い水準を維持し続けてきました。しかしそれは同時に、「人間として不完全でいる許可」を自分自身に与えてこなかった、ということでもあります。

耳が痛い(笑)。

でも、当たっている気がするんですよね。

脱サラしてから「プロとして結果を出し続けなければ」という重圧が常にあった。隙を見せることは、プロとして失格だと思っていた。気がつけばそれが、仕事の時間だけじゃなく、ふだんの自分そのものにも染み込んでいた。


次に出てきたのが、マジックと自分の関係についての分析でした。

興味深いのは、あなたの職業との逆説的な関係です。マジックとは「タネと仕掛けを隠す」技術です。プロとして長年磨いてきたその技術が、皮肉にも「本当の自分を隠す」という方向にも応用されてきた可能性があります。「完璧なエンターテイナー」という仮面は、長年の訓練によって、あなたの顔にぴったりとフィットしてしまっているのかもしれません。

「仮面がぴったりとフィットしてしまっている」——この表現は、読んだ瞬間にゾクっとしました。

嘘をついているわけでも、意図的に隠しているわけでもない。でも、鎧を長く着続けた結果、鎧が自分の一部になっていく——そういうことなんだろうなと。

松倉委員長に「ポーカーフェイスに見えます」と言われた瞬間のことが、ここで繋がった気がしました。さらけ出しているつもりだったのに、気づかないうちに「整った自分」しか出せなくなっていた。それは、マジシャンとしての鍛錬が生んだ副作用だったのかもしれません。


承認欲求についての分析は、正直一番目をそらしたかった部分でした。

コンプさんの承認欲求に、質的な変化のサインが現れています。かつては「賞賛されること」——つまり技術や演出への称賛——が主な報酬でした。しかし現在のあなたが求めているのは、「共感されること・愛されること」へとシフトしています。これは成熟の証です。ただし、その変化に自分自身がまだ追いついていない。求めているものが変わったのに、そこへ至るための手段(完璧主義・効率主義)がアップデートされていないのです。

「求めているものが変わったのに、手段がアップデートされていない」。

これは本当に、腑に落ちました。

お客さんの笑顔や反応を見て「うれしい」と思う気持ちは、昔からある。でも最近それとはまた違う、「この人との時間が好きだ」「このご縁が好きだ」という感覚を、どこかで求めるようになっていた気がする。賞賛じゃなくて、ご縁が欲しい。技術を認めてもらうんじゃなく、自分という人間を好きになってもらいたい——そういう気持ちが確かにある。

なのに、やっていることは相変わらず「効率よく、完璧に、隙なく」。

そりゃあ、どこかで息が詰まるよな、と思いました。


「油断くん」の話についても、鋭い分析が出てきました。

あなたは他者の心を開かせるための技術を持っています。しかし見落とされているのは、「相手を油断させる」ことと「自分自身が油断する」ことは、まったく別の行為だということです。あなたは長年、前者を磨いてきた。後者を許してこなかった。本番前に「整えておきたい」と感じる心理は、プロとしての責任感であると同時に、「不完全な自分を誰かに見られたくない」という防衛でもあります。

「自分自身が油断する、ということを許してこなかった」——。

ここを読んだ時、少し笑ってしまいました。

テレビのロケで「油断くん」を使って人の心を開くことには成功していたのに、一番油断できていなかったのは自分だった。そのことを、AI相手に指摘されるとは思っていなかった(笑)。


そして「余白」についての分析が、この連鎖の締めくくりでした。

「余白」というキーワードは、単なるスケジュールの空白ではありません。それは「他者が入り込むための隙間」であり、完璧主義という名の窒息状態から息をするための「呼吸穴」です。あなたが無意識に消してきた「隙」は、相手を油断させるためのテクニックではなく、あなた自身が人間として呼吸するための必需品でした。余白のない人間には、他者が入り込む余地がない。そしてそれは、どんなに優れた技術をもってしても埋めることのできない、根本的な孤独につながっていきます。

「余白のない人間には、他者が入り込む余地がない」。

この言葉は、富士研の座禅の木の話と静かに繋がりました。

あの木は、雪が降ろうと風が吹こうと、余白を持ちながらただそこに立っていた。何かを「しよう」としていなかった。それでいながら、ずっとそこに在り続けていた。

ただ在ること。

それが、人を惹きつける根っこなのかもしれない——そんなことを、AIの言葉を読みながらぼんやりと考えていました。

年を重ねるごとに、深みが増していくマジシャンに

以前こんなエッセイを書いたことがあります。

「時間の流れに逆らって若さを追い求めるよりも、年を重ねるごとに深みが増していくマジシャンでありたいなぁ」

今回の富士研から持ち帰った宿題は、まだ全部は消化できていません。

でも確実に言えることが一つあります。

自分と向き合い続けることを、やめてはいけない。

技術を磨くことも大切。でも技術の手前に、それを届ける「人間」がある。芸は人なり、という言葉は、そのことを言っているんだと思います。

「余白時間を作り人間味を磨く」という目標は、掲げた瞬間よりも今の方がずっとリアルに感じています。

富士研でご一緒した皆さん、一緒に考えてくれた松倉委員長、そしてこのはなしを読んでいただいた皆様に、心から感謝です。

これからもどうぞよろしくお願いいたします!


倫理法人会について:https://www.rinri-jpn.or.jp/

富士高原研修所について:https://www.rinri-jpn.or.jp/fuji_ec/

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